敦賀東浦みかんのマリリンモンロー
- 玲子 福谷
- 2020年8月4日
- 読了時間: 4分

7月の終わりにみかんジェンヌことRelation Kaori Labo代表勝田さんのラブコールにやっと応えることができ、念願の東浦みかんの郷敦賀へ。
東浦みかんはまだこれから大きくなる時期でしたが、今回はその東浦みかんを30年にわたって守り育ててこられた下野寿栄子さんとの対面が目的でした。
私はお会いする前に少しだけ経歴をお聞きしていました。が、実際の彼女はなんとチャーミングな女性だろう💞というのが第一印象。
お年を聞いてびっくり!!なんと88歳。✨外見だけではなく、ひょいひょいとみかんの木に登って剪定もされます。

200本のみかんの木をずっと守り育てておられて、毎日毎日みかんの木と共に生活をされています。
250年続くお家に嫁がれて、59歳の時にご主人のご実家のみかん農園を引き継がれたそうです。ご主人が亡くなられてからは下野さんお独りでこの農園を守られておられます。今は息子さんがお手伝いに来てくださっているそうです。
東浦みかんは日本海の海風を受けて、過酷な条件の中で育ちます。下野さんの農園も丘陵にあり、大昔はそこに塩田があったそうです。真下は日本海。かなり風も吹き付けるため
みかん畑の前には防風林が植えてありました。


社会の勉強で出てきた防風林!。初めて身近に見ることができました。
東浦みかんは昔ロシアに沢山輸出されていて、少し酸味のあるみかんの味がとても喜ばれていたそうです。しかしその後段々と輸出量が減ってしまい、今は日本海では収穫が他の地域より遅いため、食べる期間が短いという理由もあり、みかん狩りだけで出荷はしていなそうです。
そのみかん狩りに対しての下野さんの優しさが垣間見れたのが、木の高さ。
木はそのままにしていると、上へ上へと伸びていきます。そうすると、収穫に来られる幼稚園児の子供たちの手が届かないので、あえて低い木を作っているそうです。優しい💝
お人柄ですね。
いろいろお話を聞いていると、お家に上がらせてもらうことになり、ここから下野さんのこれまでの功績の軌跡を見せていただくことになります。

これは下野さんの作品で、金賞を取られたもので和紙を使ったお人形です。
子供たちの生き生きとした動きが見事に表現されています。
この町で、第一人者の方からその当時技術を習得し、金賞までお取りになられました。この草履は、一つ一つ編み込んで作られています。一つのお人形にかける時間は、2日以上の時もありこの数を見るとどのくらいの時間を費やされたのかと思うと、感嘆の声しか出ませんでした。
また、組みひももされてたり、詩吟で3位に入賞したりとみかん農家さんのおばあちゃんというイメージがどんどん昭和の輝かしい女性の姿に変わっていきました。
これだけの功績をスパッとやめる事ができたのはなぜですか?という問いに下野さんはこう答えてくださいました。
「何事にも手を抜かず、やり遂げたからこそ次のステージに移ることができた、そしてこの趣味を温かく見守ってくれた主人には感謝です💝」と。
そうおっしゃったお顔は、菩薩様のようなでした。
下野さんから、これからの生きる勇気をそして目標をいただきました。
88歳になった時にこのような考え方ができていたら、人として素敵だと。
心身共に健康というのはこういう姿をいうのではないかなぁと思いました。
この下野さんの東浦みかんを一緒に盛り上げておられるのが、初めにご紹介した勝田さんです。勝田さんも下野さんに負けず劣らずのパワフルな女性で、精力的に動かれいつもアンテナを張っておられます。そして私たちの共通点は、常に笑顔。(この日もみんなで大笑いはコロナでできませんでしたが、マスクをしているときはちょっとしてました笑)
下野さんの摘果みかんの皮を蒸留し、アロマスプレー、ハーブティーを販売されています。
勝田さんのお店はレイコの畑でもご紹介しています。東浦みかんの存在を勝田さんからお聞きした時、日本海で温州ミカンが収穫できるということに興味を持ちましたが、このみかんを育てておられる下野さんにお会いできたら、益々東浦みかんに会うのが楽しみになりました。

今はまだ太陽の陽を浴びて成長しつつある実が、やがてこのような黄色の美味しい実になる頃に「東浦みかんツアー」を勝田さんと一緒に企画しています。

また詳細はこちらに掲載いたします。楽しみにお待ちくださいませ。元気な下野さんに是非会って、歳を重ねるって素晴らしい!!と感じていただきたいと思います。
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