佐賀県、鳥栖、この場所は地名すら知りませんでした。そしてここが富山、奈良と並ぶ薬売りの発祥の地であることも。
佐賀県鳥栖市神辺町288-1
0942-84-3334
江戸時代に「田代売薬」が鳥栖にでき、この地区に社会面や経済面で大きな蓄積を残しました。その偉大な功績とともに、残されたたくさんの文献や道具、資料が展示されています。
私は中医学を学んでいるものとして、どのように日本に生薬が根付いていったのかというところ、西洋医学が漢方に代わって病気の治療にあたることになるかなど、とても興味深く観覧させていただきました。
これは蒸留する道具。こんな素敵な装いの蒸留器見たことありませんでした。
こんな問題も出されていました。
この瓶の色分けで、劇薬や毒薬をわかるようにしていたという説明、フランスの薬局でも聞きました。
そして薬の性質が変わるのを防ぐために、青色や茶色になっているというのはアロマの世界ではよく知られています。
歴史が紐解かれるブースでは、
やってみました、薬売り。笑💦
薬売りのムービーのコーナー。
何故この鳥栖が田代の薬売りの地に選ばれたか、なぜ配置売薬の形態が根付いたか。
朝鮮から輸入された生薬が1788年頃には朝鮮名法奇応丸という形で薬として存在していたことが記されていて、対馬藩が正式に売薬業として認められたということも。
そして1870年には売薬取締規則(売薬は東京大学の検査を受けること)神仏夢想、家伝秘宝などの表示を禁じられたなど。
この辺りから漢方薬というのは、エビデンスに欠けるという考えが政府には浸透し始めたのではないかと思いました。
1887年には営業税や観察料というものの支払いを命じられ、売薬印紙税(定価の一割の印紙を収める)という法律も作られていきます。
こののち田代は延膏薬(今のサロンパス)で有名になっていきます。
1914年売薬法が交付され薬剤師をおくことが義務付けられる。
その後スペイン風邪流行で、述べ膏薬「万金膏」が爆発的に売れる。(関節痛に)薬が売れるものだというのも、こういう状況から今の薬の信頼度のつながっているのかなと思いました。
漢方薬や生薬を学ぶ者にとってはこんなに面白い博物館はないなと思いました。
実際使われていた道具や、その時の時代背景、実物の生薬、看板など1日では観察しきれないと思います。
また時期を変えて、訪れてみたいと思いました。
最後のブースでは植物とその説明が展示されていました。
少し残念だったのは(当然ですが)香りは変化していました。こういうのは当然なんですが、その植物の雰囲気だけ感じてくださいというので展示されていると思うのですが、専門で学んでいるものは違うなと感じますが、全く知識のない方がこの香りを嗅いだら、あー漢方ってカビ臭くて、変な香りという感想になってしまうんだなと残念に思いました。
これから行かれる方は、薬草園が併設されています。新芽に出会えると思います。ぜひ、本物を香ってきてくださいね。
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